花粉症

全部花粉症のせいにしてやれ。と思ったのは多分2年か3年前だと思う。そしてそれを言語化したのは去年だ。

 

鼻水が止まらなくなるのも、涙が止まらなくなるのも、目が痒いのも

腰と膝が痛むのも、寒い日に手首が痛むのも

それから親が「アンタの顔見たくないから、家出ていって!」と喚くのも。

 

愉快だな、と鼻で笑う。そういう季節だもんな、と。親は多分気が付いてない。私の顔が見たくなくなるのも、「不動産屋さんへ行って内覧して書類貰ってきて」と叫んで私を着の身着のまま家を放り出すのも、そしていざ契約書類持ってきて見せれば「お前は親と縁を切る気か?」と泣き喚くのも、いつもこの季節だ。花粉が3センチくらい積もりそうな、この暖かで陽気な季節。

「普通」の子供たちは新しい未来に心躍らせ空想を膨らまし、意気揚々と新しい教科書なりお道具なりまあ色々と並べて積んで触って読んで楽しむ季節だろうに。なんの因果か知らないが私の家はこの季節になると上から下への大騒ぎを起こしながら「家出てけ」と私が根負けするまで叫び倒し、いざ出て行こうとすると「本当に出て行くなら学費も出してやらないから!」と泣くのだ。

……お察しのことと思うが大学4年春、就職活動真っ只中にこれをやられたので、たまったもんじゃなかった。

 

大学4年、(父方)祖母の家に1週間避難して就活をした。

祖母がまだマトモな人で良かった、と心底そう思う。(ちなみに母方祖母はマトモどころか、ちょっと「やばい」。日本語…というかこの流行り言葉は便利だ、一言で説明しきれない異常さも「やばい」でとりあえずの説明は済む)

祖母の昔話をお茶を飲みながら聞いていたら、祖母は「あなたも大変だわねえ。でも一旦こういう形でもお母さんと離れればお互い冷静になれるでしょう。見えてくるものもあるかもね」と言った。至極真っ当な感想でありアドバイスである。

「そうだねえ、毎年この季節になると『こう』なるんだけどねえ。今までおばあちゃんに迷惑かけなかったってだけで。というか今回だっておばあちゃんにこんな心配かけるつもり無かったんだよ?いやおばあちゃんに会えるのはすごい嬉しいけど」(おばあちゃ子)

そしてソファに(家でやったら100%怒られる非常に悪い姿勢で)座り、煎餅をぼりぼり食べ茶を飲み、ぼそっと続けた。

「花粉症なんだよ、うちのママは。花粉症。花粉を吸い込むと私を追い出したくなるの。発作みたいなもんだから、しょうがない。どうせまた明日とかには『あれから暫くだけど、ちゃんと元気にしているの?』とかって連絡くるよ。暫くって言っても2日しか経ってないだろうに」

「なんだかんだ娘だもの、心配なのよ」

「違う。情緒不安定なだけ。目の前に置いて世話を焼く対象がいなくなって困ってるだけ。これだってどうせ花粉症の症状の一つだから。それかもしかしたら家にストックしてたリンゴ全部食べきっちゃったんだよ」

「そういうもんなの?」

「うん。もうしょうがないの」

もういっそ清々しいまでの諦観である。

 

 

さて今年の話になるが、母はまた花粉症の症状が出た。

4月から就職の娘、なんと研修期間が終わったら週4でリモートらしい。これはまずい、早いところ一人暮らしの家を見つけなければ死ぬ!と思っていたところ、一足先に母が「家出て行きなさい!アンタの顔なんか見たくもない」と始まった。

「出て行きますとも、研修が終わったらどこへでも行きますわ」と返したところ、違うらしい。母は「今」出て行ってほしいようだ。

ちなみに母は私の年金20万円と学費50万円を私に請求しているので、私は今、家に借金をしている状況である。月10万円をバイトで稼ぎ、6,7万を返している。今月でようやく年金分だけでも返せそうなので、4月からは学費分かあ〜と気が遠くなっていたところに「今出てけ」の叫び声。

手元に金がないんだよな。無論あればすぐにでも出て行くのだが。

 

 

どうせこの発作は収まるので、それまで適当にいなすとして(どうせ4月からはそれどころではなくなる)

独立目標は夏から秋。そしてちゃんと自分で1人暮らしを始めたら、住民票を移し閲覧制限をかけ、ついでに戸籍も分籍して私1人の名前にするつもりだ。待ち遠しい。

 

 

そして今、私の左手首はズキズキと痛い。冬から春はこれを耐えなければならないのだ。痛いったらありゃしない。近いうちにもう一度病院に行くつもりだ。なんでもいいから湿布がほしい。

気休めに左手首を右手で掴みながら、こう考える。

どれもこれも全部花粉症の症状だって。そうしたら「ならしょうがない、そういうものだ」と思えるようなるから。