感情とかそういった

彼氏が夏に郊外に引っ越してから、一緒にいる時間が増えた。

別に「今までは2週間に1回しか会わなかったけど、最近は1週間に1回に増えた」というわけではなく。「2週間に1回ではあるが、その『1回』が1週間程度の宿泊になる」のだ。なんせ、家が広い。うちの6畳1Rの2倍ある。さすがに郊外。

 

1週間あればなんでもできる。平日の私は彼の家でリモートワークをするし、彼の休日と私の仕事日が被れば、彼はお昼の用意までしてくれる。私がリモートで彼が出勤日なら、私は彼の帰宅時間に合わせて晩御飯のおかずを作ることもできる。私の休日が彼の出勤日なら、私は朝遅くまで一人でダラダラして、ノソッと起きて家中掃除機を掛けて。とある天気がよかった日にはベッドシーツを洗濯して、お布団と一緒に天日干しした。(一応、彼の家の洗濯機を使うときは「彼のものだけ」を洗うことにしてる。私のものを洗って欲しい時には、他のものと一緒にしたり。)そして、少し電車で小さな街まで行ってカフェでリフレッシュして、また彼の家に帰る。これぞ「生活」のあるべき姿である。

順調なのだ、要は。全てが安定していて、大きな争いをすることもなく。互いが互いの動きを見て臨機応変に動いたり、融通を効かせあったりしている。別に大々的なイベントがあるわけではなくて、本当に淡々とした日々が、穏やかな風のように過ぎている。

 

付き合い始めてから1年半が経とうとしているけれど、彼は昔と変わらない。相変わらず、いい意味で私と彼の間にはほんの少しの線があって、彼は必要以上に踏み込まない。私の領域に踏み込む必要があると彼が考えた時には、何かしらの形でお伺いのような物がある。感情だって乱高下しないから、いつ見ても「同じ」様子なのは助かる。

私とは逆だなと思う。たとえば私にも自他境界線はあるが、それを(対彼氏ではなく、赤の他人に対して)踏み越えたシチュエーションの事例は全て覚えている。踏み越えざるを得ない時だってあるからね。でも彼は、そういう事があってもさっぱりと忘れるらしい。というか彼の場合、対他人に興味がないからそもそも踏み越えるシチュエーションは私の1/100くらいだ。

感情の乱高下だって私の方が激しい。落ち込むときは落ち込むし、怒るときは怒ってる。怒りの対象が彼氏だったことはなくて、大体はリモートワーク中に顧客からくるクソメールなんだけども。「イカれてやがら」と呟いて、アンガーマネジメント...!ってやっている。それに昔のフラッシュバックだってするから、急に顔から感情が削げ落ちることもある。多分、彼の「安定」と私の「乱高下」を足して2で割れば、少し中和されるのではないだろうか?この点について私たちは両極端なのだから。

そして、相変わらず彼は私が投げかける会話を、ほんの少しボリュームを膨らませて返してくれる。「これは、こうでこうなのかしら」という問いを、単純な肯定も、単純な否定もしない。15秒くらいの思考と、「僕はこうと思う、どうだろう」という言語化で返してくれる。その時間が楽しいと思う。

別に彼は聖人じゃないから、もちろん欠点の一つや二つあるのだけれど、そういうアラのようなものは一緒にバイトしていた時から知っているから、今更どうとも思わない。それに彼の欠点なんて、私の不安定な情緒に比べたら全然無害だ。本当に。というかそもそも人間に聖人性なんか求めていないので、欠点があってくれた方が安心すらする。

相変わらず彼は私の興味のないアニメをよく見ていて、私の興味のないゲームをやっている。そして私はその「興味ないアニメやゲーム」についてちょっとだけ付いていって「これは、こうなの?」と1つ質問をすれば、大体100の熱量で返ってくる。

でも私も大体同じことをやっているからお互い様だ。彼の興味のない音楽を聴いて、「ちょっとかけてていい?」と許可は取るが、稀にリモートワーク中に家でクラシック音楽か、英語か中国語の歌が流れている。それで彼がほんの少しだけ付いてきて「これはなんなの?」と聞いてきたものなら、「この曲はデュトワの指揮が一番良い、このほんのちょっとの間の取り方よ」というような、100の熱量で返している。

それでお互い「今日も彼は/彼女は、楽しそうで良かった」とほんわかしている。趣味を楽しく語れるのは、その程度には相手の生活や心に余裕があるということだから。

 

さて、この情緒の様子がなんかおかしい事で定評のある私である。先日、彼の仕事のシフト的に「12月は、会える日が今日で最後かも?」という雰囲気になった。そっか、ちょっと寂しいねと言ったが、年末は彼も実家に帰るし「楽しんでいらっしゃいよ」とも付け加えた。

でも考えてみれば1ヶ月会えない見込みが立ってしまった訳で。別に今までだって1ヶ月マルっと会えなかった時もあるので、今回が初めてじゃない。慣れているといえば慣れている。でも普通に寂しいのだ。もしかしたら今回の滞在がいつになく充実していたから、なおさら惜しく思っただけかもしれないが。

だから夜に寝るとき(私は本当に寝つきが悪い...というか不眠症そのものなのだが)うまく寝付けないままスンスンと泣いていた。ちなみに彼は隣で爆睡していた。その腕を抱きしめながら「きっと明日から寝る時寒いだろうな(冷え性)」とか「あなたのいない布団で1人で寝たらバカ寒くて凍えました...みたいな和歌ってどっかの歌人が詠ってなかったっけ?」とか思った。ついでに爆睡している彼氏を見て、寝てろ、寝ててくれ...と念じながら泣いていた。たった1ヶ月会えない程度で2時間半も泣くなんて、ぶっちゃけ迷惑極まりないのだ、だから1人で迷惑かけないように泣くから、起きてくれるなよ、と。

そんな時に思い出したのが、うちの親である。親父は私が小学1年生になった時から地方へ転勤、単身赴任をしていた。なんで親父が私を地方に連れて行かなかったかというと、その親父の実家も転勤族で、親父とその姉兄は「連れ回された側」なのだ。地方ごとのカリキュラムの違いとかなんとかで、どうやら履修した内容に穴抜けがあるらしい。それに地方から東京の大学へ行くのは困難だと考えた(一応実体験?)らしく、娘を東京の大学に行かせたいからと、親父は最初から娘と妻を東京に住まわせて1人で転勤する方を選んだ。

その時の様子を、父の姉である叔母が当時のブログに書き残していた。

義妹(*私の母親)に「姪ちゃんもお父さんがいなくなるとさみしいでしょう? この歳で意味がわかるのかなあ?」と質問したら、「それがおねえさん、娘ちゃんときたら、『パパ、今度家を出て行ったら、帰ってこないんだよねー』と笑顔で言ってるんです。わかってるみたいです」とな。

そう、笑顔で言ったのだ。当時の私は。別に私も馬鹿じゃないので、親父が家を出たら今度はしばらく会えなくなるのは分かっていた。それなりに寂しくもあった。でも、私が寂しく思うのを上回るくらい、当時は母親の方が(親父の単身赴任が決定してから引っ越すまでの半年間、そして親父がいなくなってから1年間くらいずっと)重めに引きずって、ずっと泣いて暮らしていた。いつ見ても泣いているから、私まで「パパが寂しい」と泣いてしまえば共倒れになるのは、5歳児の目にも明らかだった。だから「笑顔で」言ったのだ。ちょっとだけ無邪気を装って。それで、母親の目の無いところで1人でちょっとだけ泣いて、それでまた普通に戻ろうとした。大体この件ではいつも私が母親を慰めていた記憶しかない。

大学受験のとき、親父が私に地方の公立大学はどうだと勧めてきた。全寮制で、私の学びたい分野に特化している。良い大学だ。調べれば確かに、試す価値はあるように思えた。親父に「全然東京じゃないけど、良いのか」と聞けば、良いぞ、と言う。それをそのまま、母親に打診してみた。ちょっとどうかな〜良いかな〜って思ってさ、と。すると母は金切り声を上げて喚き始めた。なぜ親父が単身赴任を選んだか、それによって自分がどんな犠牲を払ってきたのか。地方の大学に行くなんて、私の犠牲を無駄にするつもりなのか!?と手に負えなかったので、親父には「やっぱちょっと、私には難しいよ。冷静に考えたら受験科目多いやんな」とやんわり断った。

「お前が、パパの言葉に乗せられて『東京の大学、行ってみたい』と言わなければ、単身赴任をする必要が無かった。私は夫と離ればなれにならないで済んだ。私は家族みんなで転勤しようよ、付いていくって言ったのに、パパの主張に乗せられたお前が東京にいたいって言ったんじゃないか。全部お前のせいで家族が犠牲になったのに、お前は地方に行こうだなんて、ふざけてる」

そうあの母親は言った。犠牲か、そうか、犠牲か。当時5歳だった私に一体何ができただろうかね、と思う。あと、高校生の娘にいう言葉ではないだろう、とか。そんな感じだろうか。

...といった事を、私は彼氏の腕にしがみ付きながら思い出していた。もしなんらかの要因があって、付き合ったまま遠距離恋愛になったり、結婚後に単身赴任になったりしたら、私もきっと泣いて悲しがるだろうな、だってたった1ヶ月?で「コレ」だしな、とか。その時私は、あの時母親が言ったようにそれを「犠牲」と言い表すだろうか?とか。あの母親と同じ行動も考え方もしたくない、と思う。私はあの人とは違う。でも時々、母親と自分の思考パターンが似ている気がして、ゾッとする。あの人がそうだったように、私にも時々ハラスメント気質があるような気がして、それを思うたびに苦虫を潰したような顔になる。

1ヶ月会えないかもしれないだけで私は寂しがっている。ということは、やはり私は母に犠牲を強いたのかもしれない。犠牲だったのだろうか、確かに紛れもない犠牲だ、いやでもそれは犠牲以外の何か他の言い方は無かったか...?とずっと考えていた。

 

彼は先日、別れ際に言った。

「1月まで待たなくても、もしかしたら再来週なら、時間できるから、良ければまたおいでよ。実家に帰るまでの1週間くらいしかないけど、それでも良ければ」

1週間は実際には十分すぎる長さで、いつも甘えすぎかなと思ってるのだが...彼の気持ちに感謝したし、結局「物事は意外となんとかなる」というのを私はいつも忘れがち...というのも思い出した。